ノンデュアリティという流れを広めている、ベルギーの友人が作成したビデオ。
エリック・サティの少し物悲しい音にのりながら、その人の言葉が紡ぎだされる。
ノンデュアリティとは、動と静があるならば究極の静の探求であり、そこには探求するものすらなかったという、エゴにとっては身も蓋もない教え・・・。
純粋な意識が横たわるだけ。
「いけてないわたしのエゴ」は、その友人の前で思う。
あなたには、波の楽しみはないのか?と (笑)
(映像がとても美しいので、ぜひみてくださいね!)
◼︎◼︎◼︎
わたしたちはいろんな波の形になって、空の下のここの世界に顔を出しあたりをぐるりと見渡しながら、ブツブツ思う。
あんな大きな波だったらよかったのに、
私は劣っているから愛されないのだ・・・。
瞬きのような波の時間はするすると過ぎて、愛しさも苦しさも夢の如し
また、静寂の海の底へと吸収されていく。
《静寂は神の言葉で、他はすべてのその下手な翻訳にすぎない》という言葉がある。
静寂とは、単に音のないことや、空っぽの状態を意味するのではなく
形の奥に横たわる、わたしたちの純粋な意識。
”わたし”が、波の形を努力してつくっているのではない。
それは、叡智がつくるもの。ごく簡単にいえばそういうこと。
”わたし”を 委ねること、手放すこと。
静寂の空間(フィールド)には計りしれない叡智が存在し、ここから創造性が生まれ出て、問題の解決策も見つかる場所。
人類がいまもっとも必要としているもの、そしてあなたが一番あなたらしくここでの生を全うするには、この叡智とつながることです。
あなたが素直に静寂に耳をすませれば、あちらから語りかけてくれる。
言語ではなく、ゾクッとしたり、心が暖かくなったり、ずしっと腑におちたり、というような体の感覚で。
または、筋道を飛ばした直観となって。
わたしのいけていないエゴのようにブツブツ思わずに
どうぞ素直にそれを受け取ってくださいね。