存在の中の不在
( The theme of all Chiharu Shiota’s works is existence in absence )
彼女が 「真実」とよぶ、目で見える世界を超えたところに広がっている場所。
糸のインスタレーションは、視覚で追えなくなったときに初めて完成します。何層にもかさなったなんとも言いがたい宇宙のような深さができるのです。編み目が密になり、目で見えなくなったときに初めて、編み込まれた向こう側にある、作品の中にある、真実に触れられるが気がします。
(塩田千春)
この感覚は、わたし的には、マーク・ロスコの絵や、
言葉にできず、こんな感じとしか言えない・・・、でもそれぞれが覚える 原初的な「なにか」の懐かしさは、きっと人類共通なんじゃないかしら。
意識の中にあって心の目でしかとらえられない「なにか」は完璧で、これを少しでも心に映し出すために生きることを練習している、と思うときがある。映したと思ったら、スルッと消えてしまう、現実や生の先へと超えたところにあるもの。
リコネクション・リコネクティブヒーリングも、この 原初的な「なにか」を思い出すこと。
だから懐かしいのかもしれません。
2015年のベネチア・
ビエンナーレの日本パビリオンで一躍彼女を有名にした作品、” The Key in the hand ”には、18万の鍵 (人生の物語)が編みこまれていて、圧巻。今回の日本の展示は、 鍵なしのものです。 《船は手を表し世界の記憶受け止め、一人一人の記憶が溶け合う海の中を航海する》
六本木ヒルズの森美術館での個展は、
作品も素晴らしいのだけど、
ベルリンは壁が崩壊して30年経った今でも絶えず都市が変動を続け、毎日違う顔を見せ続けている
ベルリンの工事現場で捨てられている窓をみつめていると、人為的に28年もの間、東西に分かれ、同じ国籍の同じ言葉の人々が、どういう思いでこのベルリンの生活を(*窓から)見ていたのだろうと、その人々の生活を思い浮かべてしまう
(塩田千春)