我思うゆえに我あり
今回のテーマ、非二元(ノンデュアリティ)はとても難しい。そもそも説明できないからだ。
説明をしようとすればするほど、“それ” はスルッとすり抜け、まったく的外れなものになってしまう。私たちの思考では “それ” を把握することすらできないのだ。
非二元の原点は仏教およびヒンドゥー教の教えにまでさかのぼる。少し乱暴だが、あえてど根性ガエルのヒロシとピョン吉を例えにして説明してみるとこんな感じ。(ヒロシくんゴメンナサイ・・・)
(* ヒロシは人間の男の子。ピョン吉はヒロシが転んだ時シャツに張り付いてしまったカエル。原作では、2者間でドタバタ劇が繰り広げられます)
ヒロシは、頭の中で考えたり会話をくりひろげ、物語を作り上げたりする、 個。 すなわち "我思うゆえに我あり” の我である。
ピョン吉は張り付いて出れない、そこに在るという存在。我に対して真我みたいなもの。冒頭の ”それ” にあたる。
ちょっと違うかもしれないけど、魂とか意識の方がわかりやすければそれでもいいと思う。
非二元(ノンデュアリティ)を理解する鍵があるとすれば、ヒロシとピョン吉というように、人という一つの本体をなしていると思っているものを、矛盾するがまずは分けて見れるところから始めるのがいいかもしれない。でも結局は二つの分離や対立はなくて(非二元)、完全なあるがままの存在だけがあるだけ(←ここの理解がムズカシイ・・・)。
そして見せかけの我は消える・・・
ノンデュアリティで著名な、トニー・パーソンズは、ヒロシが象徴する ”わたし”というヒロシの存在を問答により撃ち落としてしまう。
残るのは、ピョン吉という、ただ在る状態。 無、存在、すべて・・・
彼は、エゴの「ターミネーター(すべてを終わらせる人)」とか、”わたし” が頭の中で繰り広げる物語を、一つまた一つと撃ち落とす、「スキート射撃の名手」とも呼ばれているそうだ。
それはもうホントに見事なくらい、アッパレにやってのける。ギャフンという言葉すら発せられないくらい。
彼のワークショップの様子はyoutube で観れるが、ある種の嫌悪間すら感じるかもしれない。彼を、左脳虐待者と呼ぶ受講者もいるそうです。
でもその嫌悪感を抱いているのは、そもそもわたしのエゴが・・・ヒロシが、やっていることなのだ・・・。
彼の著書、何でもないものがあらゆるものである– 無、存在、すべて-(Nothing Being Everhing )(ナチュラルスピリット出版)はお勧めではあるが万人向きではないかもしれない。仮に読み終えたとして内側で起きる反応は3つのいずれか。エゴのリトマス紙だと思って試すのもあり?
– 嫌悪感
– 全くもって意味不明だし、何のことやらサッパリわからない
– 思考停止状態/ 平和 (ヒロシがターミネートされいなくなる)
スピリチャルな探求はすべては、無や存在、に到達しようとしているが、そもそも到達しようと頑張っているのが ”わたし” なので、結局辿り着けないという本末転倒なお話。
トニー・パーソンズはそんなスピリチャル探求者の行為を、充実感を得ようとして費やす、素晴らしくもひどく無駄な努力、と言う。
ヘビが獲物を飲み込もうとして必死に奮闘していたのは、自分の尻尾だったという落ち・・・。。
何だかわけがわからなくなってきた人も多いかもしれませんが、下記の引用もどうぞ。要するにわたしたちが追い求め渇望していた状態は、どこかにいったり、何かをしなくても、人間という条件さえ満たしていれば、いつも在ったということ。その気づきが夢からの目覚めでもある。
人生を癒し、もっと深く探り、気づきをもっと広げ、今ここにいて、静寂に入り、この惑星を救い、感情を表現し、ポジティブに考え、観照者になり、至福を感じ、グルを見つけ、役にたち、人生の意味を見出し、思考を静め、優れた仕事をし、エゴをなくし、男らしくあるいは女性らしくなり、地に足をつけ、悟りを開き、ソウルメイトに出会い、儀式を行い、イニシエーションを受け、自分の感情と向き合わなくてはならない・・・。
そうかもしれない。
反対などできるわけがない。あなたがそういうことで忙しくしている間、僕は外に出かけて紅茶を飲みながら新聞に目を通すだろうが。
すでに目覚めている (ネイサン・ギル著)より
人間としての私たちを他者と分化させているものは人、一体化させているものは存在
英語で、人間は、human being という。
「human 人/ 形あるもの」「being 存在/ 形なきもの」 二つ合わさって人間になる。
(日本語はただの人間だけど、ドイツ語のように、西ゲルマン系の言語は、やはり人と存在の二つが合体した表現が多い。)
Being というのは、わたたちの命がやってくる源、宇宙の叡智、愛、スターウォーズのForce(フォース)、今(presence)、神、それ(IT) ….、そしてピョン吉くん。あまたの名前を持つがどれも概念ではつかむことも、説明することも不可能なもの。(そしてわたしはそれは、リコネクティブ周波数でもあると思う。)
Human という人の姿があるからこそ体験できるここの世界に深く感謝できるには、Being の世界にも足が入っていることが大切。
トニー・パーソンズは、まず人格を徹底的に排除することによって、一体性(Being) にもわたしたちの足を入れようとしているのだ。
なぜなら、両方の世界に足が入ったときに初めて、人間として体験するこの世界は満たされ、とても美しいものになり得るのだから。
人の愛や、草花、すべての生命への感謝が生まれる。そしてなんでもない一杯の紅茶を飲むということが、とても愛おしいものになる。
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トニーパーソンズも出演している、ノンデュアリティ(非二元)がテーマのDVDもおすすめ。
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