聖フランチェスコ
ー 大切なことは心の目でしか観えない

雨の香りがやさしく匂いたち、なぜが懐かしい感じがする町、
イタリアのアシジ(Assisi)に来ています。

聖フランチェスコが生まれ、
今では彼を巡礼する人々を世界中から魅了する聖地。

800年も前に(日本は鎌倉時代)、愛と清貧を説き、
すべての生きとし生きるものは一つであることを伝えたフランチェスコ。

太陽も月も風も水も大地も、みんな私たちの兄弟なんだよって・・・。

城壁に囲まれたアシジは観光地なのに、
地元の人たちはびっくりするくらい平和でやさしいです。
人々の中には今でも、
聖フランチェスコの祈りが、静かに流れているのかもしれませんね。


昨日はまるで、夏のようなお天気。
真っ青な青空に、オリーブが、色づきはじめています。

フランチェスコは、小鳥さんたちに説教した聖人としても有名。

(小鳥さんたちに)
種を蒔くことも刈り入れることもしないけど、
神さまはあなたたちを養っている。

飲むためには、川や泉の水を与え、
ねぐらを造るために樹木をお与えくださる。

あなたや子供達のために、つむがず織らなくても、
必要な服も与えてくれる。

どこへでも飛んでいけるし、
美しい歌声も与えてもらっている。

このような恵みを与えてくれている創造主に感謝し深く愛しなさい。

小鳥達は、みんな口をあけて、羽ばたき首をのばし、小さい頭をペコリとさげて、フランチェスコの言葉を喜んだそうです。
なんだか、可愛いです!

聖フランチェスコ
(ジョット作)

小鳥とは、もちろん私たちのこと。

(そして”神”に抵抗があるなら、”何かの大いなる力や愛” など、
自分がしっくりくる言葉に置き換えてもぜんぜん大丈夫)

私たちは一人で勝手に生きているように思うけど、
実は生かしてもらっているというありがたさのようなもので
心がほっこり暖かくなります。

城壁内の頂上には、キリスト教の権力や組織を象徴した大聖堂が、
フランチェスコの死後ヴァチカンによって建てられました。

一番彼が避けたかったものが、彼の名前を冠し、
『聖フランチェスコ大聖堂』として、そびえます。

でも本当の聖フランチェスコの場所は、城壁の外にある『サン・ダミアーノ』
という質素なお堂の教会。

そしてポルチウンクラと、春には色とりどりの花が咲き乱れるアシジの野に、
あるそうです。

サン・ダミアーノ
裸電球一つで照らされた、小さなお堂で静かに座っていると、
涙が溢れてきます。

サン・ダミアーノ

サン・ダミアーノの窓からは広がる風景は、
今も昔も同じなのでしょうね・・・。

フランチェスコ大聖堂

写真右上の方、丘のてっぺんの建物が、きらびやかな聖フランチェスコ大聖堂
左手には美しい秋のウンブリア平原が、広がります。


今日、10月4日は、フランチェスコが、亡くなった日。
ローマ法王が、今まさにアシジを訪れていて、
城壁内への車の乗り入れ、そして周りの道路はすべて閉鎖中。
数万人の観光客とともに、町は混乱状態だそうです。
(今回のアシジの目的は、明日から始まるので、
今は城壁の外のホテルでゆっくりしています (^^))

大切なものは心の目でしか観えない・・・
サン・ダミアーノの慎ましいお堂や、
フランチェスコの平和の祈りは、
外側に惑わされて、大切なものを忘れてしまった人間の心に、
何百年の時空を超え警鐘をならします。

それでも、すべては、あるがままに。

【聖フランチェスコの祈り】

神よ、私をあなたの平和の道具としてお使いください。

憎しみのあるところに、愛を、
罪のあるところに、許しを、
争いのあるところに、平和を、
疑いのあるところに、信仰を、
絶望のあるところに、希望を、
暗闇のあるところに、光を、
悲しみのあるところに、喜びを蒔かせてください。

おお、神よ、
慰められるよりも、慰めることが、
理解されるよりも、理解することが、
愛されるよりも、愛することができますように。

なぜなら、与えることによって、与えられ、
許すことによって、許され、
死ぬことによって、永遠のいのちを与えられるからです。