地球を生きる WS by 近藤瞳 @寺家ふるさと村
《ハダシと 野性回帰》
踏みしめるごとに 命の湧き出す感覚みたいなものを期待していたのが、最初はまったくそんなことはなく・・・。
アスファルト痛い、 小石刺さる(小さな砂利ほど、痛い・涙)、あの人はナゼあんなにスタスタ歩ける!?
体は 自然界と溶け合おうとしているのに、
思考フィルターが入ると 「まごころを忘れそうな 効率の人」に引き戻し。
でも、それもOK、すべては在るがまま
HItomiさんが裸足で歩くとこんなことが、あんなことが、あるよ〜と、教えてくれる。
森の中を3時間もハダシで進むと、地球の重力を体が 思い出し始める。(確かに!)
また、遠くではなく、足元をみてあるきましょうとも。
(人生と同じだ!痛い、ので、”今 ここ ” に集中せざるをえない)
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置かれた場所で花咲き、地にまためぐっていく淡色の花びら、
(長い時の中で)コロンとなった石、フカフカの苔も、踏んでみる。
秋の落ち葉もカサカサに乾き良い音を立て、雨水を含んだ泥もきもちいい。
わたしたちにも、自然と同じ “ゆっくり循環する” リズムが内在しているのに、直線で進歩することが至上の課題みたいな社会に 生きている。
そして、思考や効率の頭だけで生きていると、アウトプットされるものも薄っぺらくて、苦しくなる。
(先月なんて、chatGPTのような生成系AIの進化に飛びつき 喜んで翻弄されていたものね。
でもそれも在るがまま ^^;)
人間って、自分の根っこがはっていないと、深く生きることも 安心して循環すること(死ぬこと)もできない、不思議な生命体。
でも、見方を返せば、自然のシステムに回帰すれば、深い穏やかさが戻ってくる。
ちょっと忘れていただけで、”それは” いつもともにあるものだから。
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HitomiさんのWSでは、”ワンネス “ を 経験するエクソサイズもある。
鳥の群れや菌のように、バラバラに動めくものが、”立ち現れる” 場(フィールド)で、美しく一つになる瞬間。
人間ももちろん例外ではないんだという、鳥肌ものの体験。
そしてまた自由に、離れたり、一つになったりして、旅は続いていくのだけど。
一夜あけて。
「足裏」が、知ってしまった 野性の味を求めてくる(笑)
手と同じで、こんなにも豊かな情報をくれるんだ・・と愛おしくなる足裏。
都内で、ハダシでいても 変な人にみられない場所を探し、さまよってみる。
ふかふかの 良い香りのする土は、アスファルトの下に・・・。
そんな中で、猫の額のような、剥き出しの大地を見つけて感じる ありがたさ。
ないものではなく、
すでに在るものを見つけようとすればいい。
そうすれば、この命はなんと豊かに祝福されているのかが、自ずとみえてくる。
そんなことを感じた、幸せな里山での春の1日でした。
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「地球を生きるby Hitomi Kondo 」
5月末まで、あと、全国20箇所以上を回るHitomiさん
興味ある方は、主催者さんに直接コンタクトされてみてください
地球を生きるワークショップ
テンプルビューティフルの光田なおこさんのブログも、Hitomiさんの語る地球の歴史が時系列になっていて、とてもわかりやすいので、ぜひ!