I can’t go on I will go on (もうダメだ でも歩み続ける)
脳神経外科医のPaul Kalanithi (ポール・カラニシ) は、『When breath Becomes Air』(邦題 / いま、希望を語ろう 末期がんの若き医師が家族と見つけた「生きる意味」) を、完成することなく2015年に亡くなりました。
エリート”医師” から、”患者” となったのが35歳。
自分の死と向き合い38歳の誕生日を前にして旅立つまでに綴られた、メモワール(回顧録)です。
本著は、娘、Candy に捧げられています。
ページは、医師である著者が一連のCT画像を見ている場面から始まります。
腫瘍が肺全体に広がり脊椎も変形し、肝臓全体も覆われたステージ4の末期。
そこから、著者の幼少期、医学部のトレーニングや臨床の現場、医師としては最高峰の地位を手にいれる寸前での、ガンの診断へと展開していきます。
自分にとって本当に大切なことは何か?
ステージ4の診断後 彼のフォーカスは、
あとどれだけの時間が残っているのか? ではなく、
《自分にとって本当に大切なことは何か?》 になります。
“命の期限が切られると、曇りガラスの中でボンヤリしていたものが、輪廓をもち浮きあがった”
と、妻のルーシーはいいます。
文学や詩を心から愛した彼にとってのそれは、
執筆すること(本をだすこと)と、家族。
子供を持つことも夫婦で決断したことです。
原題の 、When Breath Becomes Air を 直訳するなら、
《呼吸が空気になるとき》
子宮から産み出された赤子は、無機質な空気をオギャーっと深く大きく吸いこみ、生がはじまる。
そして肉体が死ぬとき、生の象徴であった呼吸は、小さな最後の一息とともに また無機質な空気にと戻りゆく。彼の生から死への移行を象徴するような、とても刹那で 美しいタイトルなのです・・・。
「生きる」とは、
生と死の間にある 命の呼吸を、精一杯経験すること。
生きること 失うこと、愛すること、喜び、悲しみ、苦しみ、すべての感情を余すことなく生きること。
それが十全に生きるということだから。
ワクワクだけの人生を目指すのも、もちろんいいかもしれない。
でも、私たちを人間らしく、深めてくれるのは、苦しみや悲しみのほう。
苦しくても逃げないで歩み続ければ、人生は縮小することなく、ますます輝きを増し拡大していく。
それを余すことなく体現しお手本になってくれているのは、Lucy 本人かもしれません。
この本は、ポール氏の名前で出版されていますが、妻である、Dr. Lucy Kalanithi (ルーシ・カラニシ)との命の共著です。
未完の原稿を書籍の形に整えるため、ポール氏が過去に書きためていたものや新聞などに掲載されたエッセイ、友人とのメールの中で語られた内容から、彼だったら・・・・とオリジナルの原稿に盛り込み深め、構成したそうです。
名門イエール大学医学部での最初の出会いから、十数年の短い時間の中で、お互い医師となり、結婚し、末期のガンの診断のあとで子供を持ちます。
亡きあとは、Lucyが精力的に彼の声となり、医師を続けながら今も全米で講演活動をしています。(*Youtube にたくさん映像がアップされています)
本著の最後の章はLucyによるもので、こう閉じられます。
私は、彼の妻であり、(ポール・カラニシ の )人生に立ち会った証人であった
二人で創り出した時空は、今もなお明るい彩りを帯びどんどん広がっていきます。
米国アマゾンでは、When Breath Becomes Air は、今日現在
《 7921 》もの 5つ星に近い評価がつき、まだベストセラー。(40言語に翻訳)
Paul とLucy が悲しみの中でもがきながら希望と勇気に向かって歩み続けた真実の物語は – 私もそうであるように- 少なくとも 7921 人 の人生に何らかの影響を与えたことは確かなのだと思います。
別れ
あなたの不在が 私を貫いた
まるで 糸が針穴を貫くように
私のあらゆる営みには その色が縫い込まれるW.S マーウィン (詩人)
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Separation
your absence has gone through me like thread through a needle.
Everything I do is stitched with its color.W.S Merwin