動画配信サービスのNetflix で、House of Cards にはまり、4シーズン(52話)イッキ観してしまいました。

アメリカでエミー賞を受賞しただけあり、脚本がほんとに素晴らしいのです。
”野望の階段”という邦題のごとく、ホワイトハウスを舞台に、夫婦で利用できるすべてを!! 利用し、知的な頭脳をもってアメリカ合衆国大統領へと上がり詰めていくストーリー。

野望= エゴ 、悪として処理するのは簡単だけど、いやいや主人公の二人はちゃんと奇跡や偶然に助けられていきます。

振り返ると、人生で起きた奇跡のような素敵なことや出合いや状況は、自分で起こしたものでも、願ったから起きたものでもないことが多くないでしょうか?
(ドラマの中だけでなく、日常もまさに、事実は小説よりも奇なりですよね)

頭で計画したことでなく計画になかった偶然によって導かれ、それが何かに展開していくこともあるし、強く願ったことへ繋がる道として思いもかけない偶然が降ってくることもある。

偶然が目の前に姿を現したとき、私たちにあるのは、寄り添うか、やめるか、の選択だけ。

はじめに言葉ありき。言葉は神と共にあり、言葉は神であった。(ヨハネ福音書)

思いを言葉にしたとき、地球という惑星ではその心を生み出すことができる、創造できる

 

ドナルド・トランプのようなすでに冗談のような大統領候補もいるし、世界で最も貧乏な大統領とよばれ「私の」夢や願望を超えたところに在る、ウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領のような人もいる。
(* ムヒカ前大統領は、現在来日中です)

ムヒカ前大統領はいいます。
私たちは幸せになるために、この地球にやってきたのです。人生は短いしすぐ目の前を過ぎていきます。

(ムヒカ大統領の伝説のスピーチ・10分ほどでちょっと長いのででお時間のあるときでも
また、このスピーチは日本語の絵本としても出版されています。世界で一番貧しい大統領のスピーチ・アマゾン)

わたしたちの心がそもそも神の言葉の表現であるならば、宇宙からみると心が生み出すことには、良い悪いという判断はないのかもしれません。

わたしはというと、幸せになるためのリスト作りをするより、偶然というミラクル(奇蹟)に導かれていくのが、今は楽しい気がしています。

ブラックホールのような光すら射さないどん底の悲しみも、時間が経ってみるとミラクルな恩寵だったり、スゴイね神さまのやることは、と喜びとともに畏怖の念に打たれることもあったり….。

すべてを含めて、この地球で生きていることがミラクルなのかもしれませんね。