ノンデュアリティという流れを広めている、ベルギーの友人が作成したビデオ。
エリック・サティの少し物悲しい音にのりながら、その人の言葉が紡ぎだされる。

ノンデュアリティとは、動と静があるならば究極の静の探求であり、そこには探求するものすらなかったという、エゴにとっては身も蓋もない教え・・・。
純粋な意識が横たわるだけ。

「いけてないわたしのエゴ」は、その友人の前で思う。
あなたには、波の楽しみはないのか?と (笑)

(映像がとても美しいので、ぜひみてくださいね!)

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わたしたちはいろんな波の形になって、空の下のここの世界に顔を出しあたりをぐるりと見渡しながら、ブツブツ思う。

あんな大きな波だったらよかったのに、
私は劣っているから愛されないのだ・・・。

瞬きのような波の時間はするすると過ぎて、愛しさも苦しさも夢の如し

また、静寂の海の底へと吸収されていく。

《静寂は神の言葉で、他はすべてのその下手な翻訳にすぎない》という言葉がある。

静寂とは、単に音のないことや、空っぽの状態を意味するのではなく
形の奥に横たわる、わたしたちの純粋な意識。

”わたし”が、波の形を努力してつくっているのではない。
それは、叡智がつくるもの。ごく簡単にいえばそういうこと。

”わたし”を 委ねること、手放すこと。

静寂の空間(フィールド)には計りしれない叡智が存在し、ここから創造性が生まれ出て、問題の解決策も見つかる場所。
人類がいまもっとも必要としているもの、そしてあなたが一番あなたらしくここでの生を全うするには、この叡智とつながることです。

あなたが素直に静寂に耳をすませれば、あちらから語りかけてくれる。

言語ではなく、ゾクッとしたり、心が暖かくなったり、ずしっと腑におちたり、というような体の感覚で。
または、筋道を飛ばした直観となって。

わたしのいけていないエゴのようにブツブツ思わずに
どうぞ素直にそれを受け取ってくださいね。