私たちは神から与えられた自分の可能性を見出そうと、あがき、苦しむけど、それはつねに自分の中にあったもの。
完全性、神聖な穏やかさへのアクセスは、自分自身がそのままで十分であることを認めるところから始まります。
「恐れ」からくる変わらなくてはいけないという気持ち。
あるいは、このままでも十分という受け入れる気持ちの「愛」。
恐れはあってもいいのです。人間だから。
でも、もしかしたら私たちは、それを抱きしめ見つめ、勇気とともに歩みだすこともできるかもしれない。
一歩づつ、立ち止まり、そしてまた一歩・・・、凍てつく冷たい風を進んでいると、フワッと春の甘い香りと暖かさを感じるときがきます。
それが、恐れが、愛に変わる瞬間。
すべては、在るがままで完全なんだと、”どこかでわかる” 。
わたしも、あなたも、起きたことも、そしてこれから起きることも。
ディビッドボウイが亡くなったとき、奥さんのイマンが、ツイッターに引用したメッセージがあります。
作者は不明です。Maybe life isn’t about avoiding the bruises. It’s about collecting the scars to prove we showed up for it.
(*意味はこんな感じ)
もしかしたら、人生とは、いかにして傷つくことを避けるかではなく、ここで生きた証とするために名誉の傷を集めることにあるのかもしれない。
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Dr. エリック・パールの、2016年に向けてのメッセージ、日本語版です。