クライアントさんたちの悩み、質問、はサクッと大きく分けると次のようになる。
健康、お金、人間関係(恋愛、家族)、仕事、そして人生の目的。

特に人生の目的ー“私の使命はなんでしょう?”
“私は人生で何をするのがいいのでしょうか(何がむいてる?)?
はみんなが知りたいところ。

でも自分の使命を若くして確信している人なんて芸術家
くらいしかいないんじゃないかと私は思う。
(そしてそれはとても幸せなこと)

ほとんどの人は人生の紆余曲折をたどり、いろんなことを経験しながら
その人の道を見つけていく旅をする。

この扉は違うみたいだから今度はあっちの扉を叩いてみようとか。

話が少し飛ぶが
東京の品川駅のコンコースはラッシュ時は何千人という人がまるで
道路の車線のように2方向に分かれて往来する。

その奔流に乗っかりながらふとレミングというねずみの一種の
集団移動をよく思う。
レミングは大集団で移動しながら川や海に一直線に入って
集団自殺することがある。(自分の意見をもたず判断できない
人の例えとしてよく使われるが)

そしてこの人の流れの先に、生と死のラインがあるなら
私はそれを後悔なく今は超えることができるだろうとも思いながら。

正しい解脱の指南書(?)
チベット密教“死者の書”の中で人間としての人生
もう上がりっ!(解脱)になるには死後の旅において
すべての執着を手放さなければいけないという。

そうしないとまた輪廻転生して
もう一度人間やっといで、になるそうだ。

死後の旅で神や、仏をみてもついて行ってはならないと。
それも執着だから。

ペットのワンちゃんが心配、とか戦争のない
世の中にしたいとか、、それらも美しい執着。

ここ数年で母親を含め3人も私が生きる力であった人たちが
逝ってしまった。
それらが契機となり私は執着を手放すことを学んだのだと思う。

執着を手放すというより受け入れることなのかもしれない。

あるがままを受け入れる、“あぁ、そうなっちゃたのね”と
現象と戦うことなく、自分の思い通りでなければいけないと
思わず、受け入れること。それは結局自分にとって一番楽なのだから。

私達は人生のシナリオを自分で書いてこの世界にやってくる。

そのシナリオには、愛や、喜びも沢山もりこまれているが、
魂を育てるための生、老、病、死の
悩み、苦しみがいたるところにちりばめられている。

もしかしたら“人生の目的って何?”の一つの答えは
自分の魂を育てることかもしれない。

自分が書いたシナリオを尊重してその学びを全うしてあげなくては。
思い出すことはできないが自分がした約束なのだから。
私は苦しい時、もぉだめだと思う時、自分にそんなふうに言い聞かせる・・・。

(私はいったい自分のシナリオに何書いちゃったわけ?
仕方ないわね~と、少しのボヤきもいれながら・・・)

人の命の強さと、はかなさ。管につながれ何年も
生き続ける人、朝元気だったのに事故や、心臓発作や
災害や戦争で夜には命の灯が消えてしまう人。

ガザでおきた空爆のなか戦火をさまよい
明日まで生きていられるかわからない人々。

こんな命達は
いったいどんな約束をして生まれてきたのだろうと
胸が痛くなるが・・・。

目がみえ、耳がきこえ、自分の足で歩けて、ものが食べられ、
友達がいて、今命の危険にさらされていない。
私は、そんな当たり前だと思っている状態に
感謝する。

そうでなくてもすべてを受け入れ今を精一杯生きている
人たちが沢山いるわけだから・・・。

“今”、執着を手放し、受け入れ、感謝する積み重ねが
人生の目的につながっていくのかもしれない、、、。